権藤 よしつぐ

Challenge! 元酒井大史秘書 現衆議院議員秘書

権藤 よしつぐ

Challenge! 元酒井大史秘書 現衆議院議員秘書

権藤 よしつぐ

Challenge! 元酒井大史秘書 現衆議院議員秘書

権藤 よしつぐ Challenge! 元酒井大史秘書 現衆議院議員秘書

私のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

令和4年6月19日執行の立川市議会議員選挙においては、力及ばず惜敗いたしました。応援、期待していただいた皆様には大変申し訳ございませんでした。
酒井大史の秘書として、ご縁を頂いた皆様の期待に応えるためにも捲土重来を期し、衆議院議員大河原まさこ事務所の秘書として、再出発して参ります。
 
私の政治の原点は、整形外科医の衆議院議員公設秘書、歯科医の参議院議員私設秘書としての勤務経験です。
私は、酒井大史都議会議員と活動をともにすると決意してから、立川の街を知るため、個人事業主としてヤマト運輸の下請け配達やコロナ自宅療養者への宅配に取り組み、立川の街を隅々まで見てきた経験として、一番強く感じたのは、立川の街の朝と夜、平日と休日では見え方が全く異なっていることです。駅前駐車の問題、自転車や通学路の安全確保、小規模保育園の遊び場、防犯に関わる地域の照明など多岐にわたる課題です。
 
私は政治だけでなく、過去に株式会社デンソーや埼玉西武ライオンズ事業部のマネージャーとしての社会経験があります。市議選を通じて寄せられた意見や衆議院議員秘書として、コロナ禍によって変わった社会における課題に直面しながら、他日を期して日々研鑽に励んで参ります。
 
市長となった酒井大史元都議とも連携して参りたいと存じます。
 
元酒井大史秘書 権藤よしつぐ

以下の記載は令和4年市議選以前のものです。

ゴンドウヨシツグPV

権藤君は埼玉西武ライオンズ事業部のマネージャーや整形外科医の衆議院議員・歯科医の参議院議員秘書を経験してきました。

私も立川市や都の医療政策を充実し市民の健康維持に繋がるよう、三師会(医師・歯科医師・薬剤師)の先生方にお知恵をいただくことが多々あります。

現在、私の秘書として活動する権藤君を市政に送り、3年前の市長選挙で私が掲げた政策の実現に向けて道筋をつけていきたいと考えています。是非、権藤君の活動にご注目ください。

東京都議会議員 酒井大史


4年前の市議選では、1千人近い方々にご支援頂くも惜敗しました。この間、家業を営むと共に、酒井都議と共に訪問介護事業所を立ち上げ福祉事業にも携わっています。
今回、私は出馬を見送り、権藤さんを現場主義を受け継ぐ、後継者として応援しています。

立川市議会第63代副議長 梅田 春生


ゴンドウ ヨシツグはこんな人 酒井大史と対談

広島出身のゴン

酒井 権藤君って、広島出身だよね。広島のイメージって原爆、お好み焼き、カープかなぁ。

権藤 小学4年より高校まで過ごしました。父がゼネコンで転勤が多く、山口県小野田市(現在山陽小野田市)から広島市に。
山口の学校にはアスレチックがあり、給食を野外で食べられる伸び伸びした環境でした。一転、広島は都会。父の影響でカープファンだったので新たな夢と希望に溢れていました。学校にはすぐ馴染めましたが、「転校生はつらいな」って思う事もありました。もちろん原爆の悲惨さも共有することになりました。

酒井 広島での印象的な思い出は。

権藤 小・中学校のエリアは社宅が多く、企業の業績悪化でクラスが8から6まで減少した時の転入生で、転校生の話を聞くと寂しさを感じました。
また、被差別部落、在日外国人の方が多いエリアで家庭環境が複雑な友達も。
中学2年からクラスに障害のある子がいて、みんなが個性を大切にする、仲間を思いやるなど勉強以外で学ぶ事が多かった記憶があります。いま思うと多様性を幼少期から経験できたのは、とても良かったと思っています。
高校は県立で、部活は陸上部、街中の高校で先輩や友達と遊ぶ事を優先していました。学校の先生も比較的に自主性を重んじてくれていました。

東京にやって来たゴン

酒井 大学は駅伝で有名な青山学院だよね。お洒落なイメージだけど。

権藤 高校時代の恩師の影響で青山学院へ。青山学院出身で百貨店を経て高校教師になったお洒落な方で、大学生活って楽しそうだとワクワクして青山学院を目指しました。
大学時代のバイトは美容やアパレル関係など、女性の中で男性一人という環境で仕事をしていました。就活はバブルがはじけて厳しい状況、卒業の年に拓銀、山一証券の破綻など、現在に通じる経済状況の始まりでした。

酒井 珍しい職歴は西武ライオンズだよね。選手以外にどんな仕事があるの。

権藤 球団事業部のマネージャーとして、球場内の広告と年間席などを販売していました。オフシーズンはスポンサーのイベントなどで選手を誘導することもありました。
野球選手は日々戦い、いつ戦力外通告を受けるかもしれない厳しい環境の中、試合を通じて年齢を問わずファンに感動や希望を届けています。それを間近で感じられたことは貴重な経験でした。プロチームは利益を追求しつつ野球を通じて地域社会に貢献していく、ある意味、行政にも必要な視点だと思います。

立川に転居したゴン

酒井 立川に転居したきっかけは、「ゴンちゃん、市議選に挑戦してみないか」だったね。立川の街を知るため、1年間個人事業主として、ヤマト運輸の下請配達やコロナ自宅療養者への宅配に取り組んできたけど、立川に何を感じた?

権藤 街は朝と夜、平日と休日では見え方が全く異なっていました。
例えば駅前駐車の問題、自転車、通学路の安全確保、小規模保育園の遊び場、防犯に係わる地域の照明など多岐にわたる課題が見えてきました。
さらに立川に来て感じたことは、商業的には住みやすく、更なる可能性を秘めた街だということです。
企業誘致や多摩地域の観光拠点として、もっとシティセールスが出来るのではないかと。酒井さんが都議会で取り上げ、市長選時のプランとして掲げた「南武線の羽田空港へのダイレクトアクセス」は、立川のみならず多摩地域の住民にとって夢のあるプランとして共に、提案していきたいと思っています。